薄く目を開くと、覚えのない天井が目に入った。一般的、たぶん一般的な板が張り巡らされているだけの質素な物。
 真新しく感じる布団をよけて立ち上がる、ここはどこだろうと辺りを見回した。
 すると、私が今立っているロフトから視線を少し下げた所に大きな釜が二つ。
 思い出した。
 私はあの不思議な七色の輝きに魅せられて、考えるよりも先に口が開いていて。
 でも、それを間違っているなんて、私は思ってない。それに錬金術という力を信じている。

「そうよね、リリィ」

 小さく自分に告げ、気持ちを新たにする。
 まずはあの人が来るのを待とう、私に錬金術を教えてくれる人。体格に反して紳士的な印象のあの人……なんて呼んだらいいんだろう。
 先生、とかかしら。
 よっぽど失礼にならなければ良いとは思うのだけれど、きっと彼も気にしないわよね、きっとそうよね?










 俺は悩んでいた。
 職人通りを歩きながら、ぷにを肩に乗せて、悩んでいた。

「う〜む、師匠、はたまた親方?」
「ぷに〜……」

 どうでもいいみたいな声出すなよ。

「最重要ポイントだろ」

 呼び方って言うのは重要だ、これを怠ると悲劇が待ち受けている。

「ぷに?」
「いや、先生はトトリブランドに譲ろうかと思ってな」

 俺は俺のアカネブランドを確立させていきたい。

「いっそご主人様、とか?」
「ぷ、ぷに?」
「いや、だって弟子がなあ……」

 上目遣いでご主人様、ここ教えてくれますか? なんて……。

「大興奮だな」
「ぷに……」

 冷たく、蔑んだ目で見られた。
 いいさいいさ、俺の同志は世界にたくさんいるんだ。

「ぷに」
「そんなことより仕事か……仕事か」

 昨日は城に泊り、そして今日、ルーフェスさんから直々に初仕事をもらってしまった。
 花火フラムを五個、それで報酬は3000コールの引かれて600コール。
 単価120コール……。

「リリィちゃんには、俺の弟子には隠し通さなければ……!」

 借金まみれのぐうたら師匠だと思われたくない……!
 ぐうたらな師匠なんてどこの世界で存在を許されるんだ。

「まずはぷにの紹介を軽く済ませんとな」
「ぷに」

 ちらりと横目で我が相棒を見る、そこそこ愛嬌のある姿をしているが、もしもリリィちゃんが嫌いと言ったなら。

「俺はお前を容赦なく野に放つからな」
「ぷに?」
「あ、いえ、嘘ですごめんなさい」

 ぷにに凄まれながらもついにアトリエの前まで来た、半ば反射的に扉をオープンしそうになったが、アールズ版アカネは違った。しっかりと二回ノックをした。このノックだけでも常人では生涯辿り着けない領域だろう。

「は、はい! どうぞ!」

 透き通った声が返ってきた、実のところ、今の今まで全部夢だと若干疑っていた。
 だって、だってさあ。

 ゆっくり扉を開くと、律義に扉の前で待っていたのか、リリィちゃんは薄く微笑んだ顔をこちらに見せて。

「おはようございます、マスター」

 なんて、挨拶してきて、ね。
 すげえ、礼儀良し、容姿良し、笑顔バッチリ……生きてると良いことあるもんだな。
 それにしてもマスターって、マスターって、そこだけ録音して延々と再生したいです。

「あの、マスター?」

 不安げな様子で瞳を揺らしながら、こちらの顔を伺ってくるリリィちゃん。
 口には出せないが、感動で俺の中の時間が止まっていた。

「あ、ああ、おはようリリィちゃん」

 と返事を返したところで、彼女の目線が俺の肩に移っている事に気付いた。
 俺は極めて好青年風の笑顔を浮かべてぷにに目をやった。

「こいつは俺の相棒でシロって言ってな、モンスターながらに良い奴だ」
「ぷに?」

 誰だお前とか言うんじゃない、振り落とすぞ。

「相棒?」
「ぷに!」

 ぷには肩の上で飛び跳ねると、僅かに頭を下げるような動作をした。
 するとリリィちゃんも上目でぷにの様子を見ながら小さく一礼した。
 もはやその動作ですら可愛い、ご飯三杯どんと来い。
 と言うか、本当に来てください朝ご飯まだです。

「よし、朝食作るか!」
「は、はい」

 意気揚々と奥の部屋のキッチンの中に入り、樹氷石の入った冷蔵庫から昨日ぷにと仕事して買っておいた食材を取り出して、作った。
 リリィちゃんも頑張ってくれた、けれど、人参の皮を剥く時に包丁がスパッと彼女の親指の上を勢いよく通過したのを見て、俺の心臓は十個くらい潰れた。
 なのでトトリちゃんから借りてきた初心者向けの参考書を読んでいるように言った。
 相手はおそらくお嬢様だという事を忘れてはいけない。最近メルル姫とか言うバイタリティに溢れすぎたお姫様のせいで感覚がマヒしている。

 ドキドキのクッキングタイムを終えて、サラダとトーストを四角いテーブルに載せて朝食タイムかと思ったが、リリィちゃんの顔が暗かった。

「ど、どうしたんだ?」
「い、いえ、すみません、本来なら私がやらなくちゃいけない事なのに……」

 ……確かに家事とかは弟子がやるのが一般的な価値観かもしれない。
 しかし、我がロロナ師匠があんな感じの年上とすら思わせない様な人だったから忘れていた。
 実際俺も全然気にしてないし、ここはそれとなく伝えてあげよう。

「いや、俺の趣味は料理だから、師匠の楽しみを奪わないでくれよ?」
「え、は、はい」

 少し面喰ったような表情をするリリィちゃん。
 なんかキザったらしい台詞だった気がする、おふざけを真面目にやってしまったみたいな……。

「ぷに?」

 誰でもなく、俺はアカネだって。

「それじゃあ朝食を……」
「あ、あのマスター、ちょっといいですか?」
「に、な、なんだ?」

 危ない、危うく『にゃ?』なんて締まらない返事をするところだった。
 習慣と言う物は本当に恐ろしい。

「そ、そのマスター私の事子供扱いしてませんか?」
「な、何故?」
「だってマスターみたいな大人の男性がちゃんづけだなんて、私これでも16なんですよ?」
「む……」

 大人しい子だと思っていたが、意外に主張はちゃんとできる子だったか。
 確かにいままで年下っぽい人はちゃんづけオンリーだったけれど、拒否感示す子がいてもおかしくはないか。
 むしろトトリちゃん辺り、実は俺の事ちゃんづけとかキモイなんて……。
 早々にアンケートを取ろう……。

「それじゃあ、リリィ……で平気か?」

 さん、ちゃんがないと非常に自分の言葉ながら違和感がある。
 かといって師匠や後輩君の様に、弟子なんて呼び方は味気ない。

「は、はい、大丈夫です」
「よし、それじゃあご飯にしよう」
「はい、いただきます」
「いただきます」
「ぷに」

 ぷにはさながら掃除機の如く一瞬で吸い込んだ。
 協調性と言うものを知らないのだろうか、知らないな。
 見ろリリィちゃん、もといリリィのあのちまちまとトーストをかじる姿を、小動物か何かかと、むしろ小動物がリリィだと言いたくなる。
 メルル姫なんてケーキを口に入れながらでも平気で話をするが、家の子はなんて上品なのか、食べながら喋ったりしない、でもマスターちょっと寂しい。
 そんな風に朝食をとって、リリィに手伝ってもらいながら片づけを済ませて、釜の前に立ったからさあ錬金術のお勉強……。

「なんていう風にはなりません」
「な、なんですかマスター? 急に」

 しまった、ぷになら色々行間読んでくれるから俺の唐突な発言にもついてきてくれるがリリィはそうもいかない。
 俺はまだ立派なマスターでいたい、うまく取り繕うぜ。

「いや、早速錬金術を実践しようなんて思ってるんじゃないかと思ってな」
「? 違うんですか?」

 両手で持った本で口元を隠しながら小首をかしげるその姿、可愛さがあふれている。
 実のところ、俺はこの子を十秒に一回は可愛いと思っている。

「錬金術には材料が必要です、そしてそれは街の外に行って自分で採るのです」
「そ、そうなんですね」
「うむ」

 このもっともな発言の裏には、コンテナが今現在空に近いという背景がある事は俺だけが知っていればいい。

「と言っても、俺は今日仕事があってな」
「……え?」

 そんな捨てられそうな子犬みたいな表情しないでください。仕事がどうでもよくなりそうです。

「この街には俺の姉弟子がいて、俺と同じように最近弟子をとったからその子と一緒に行ってもらおうかと思ったんだが……」

 俺も一緒の方がいいかと目で問う。

「いえ、大丈夫です。なんなら一人でも平気ですよ、これでも子供のころはよく外で遊んでましたから」
「そ、そうか」

 力のこもった目でそう言い返された、健気なところを見せられるとまた心が揺らいでしまう。

「しっかし……」

 彼女の指先をまじまじと見る、白く細い、ありがちだが白魚のようななんて表現されるのがしっくりくるような、傷一つない綺麗な指だ。

「よくよく考えてみるとお嬢様に採取させるって言うのは……」
「え? あ、あのマスター?」
「にゃ? な゙んだい?」

 セーフかアウトで言うならたぶんセーフ。
 リリィの焦ったような声に俺まで焦ってしまった。

「わ、私の家の事知ってるんですか?」
「えっと、良い所のお嬢様かなくらいに」

 言動とか、服とかも完全特注のハンドメイドっぽいし、どう見てもねえ。

「そ、そうですか……そ、その……私、実は……」

 顔をうつむかせて小さくぽつぽつと言葉を紡ぐそういう姿、アカネさんは好きじゃないです。

「別に言わなくてもいいって、問いただしたつもりもないから」
「…………」

 本当にいいんですか、と遠慮がちに目線を下から送ってくる彼女に俺は大きく頷いた。

「人には誰にでも隠し事の一つや二つあるからな」

 俺なんてアーランドで数年も延々と隠し通しだったし。

「まあ月並みだけど、言いたくなった時に言えば良いさ」
「は、はい」

 ほっとしたような頬笑みを浮かべるリリィを見て、止めて良かったと思った。
 一方で床にいるぷにからはカッコつけんなと言う視線がチクチクと突き刺さる、別に悪いことではないので痛くも痒くもない。

「よしそれじゃあ心機一転、出かけよう」
「はい、その……マスター」
「うん?」
「いえ、なんでもないです」

 そう言って、ニコニコと会って一番良い笑顔を浮かべて悪戯っ子のように笑う彼女の姿を見て俺は。

 ……正直鼻血が出そうになった。ぷにの視線が痛かった。








 場所は変わってトトリちゃんのアトリエに。
 リリィは重そうなチェックのトランクケースを持っている、採取した材料を入れるらしい。なんでもこのカバンが一番手になじんでいるとか。
 軽くノックすると返事が返ってきたので中に入ると、メルル姫とトトリちゃんが近寄ってきた。

「わあ、この子がアカネさんが教える子ですね」

 トトリちゃんが楽しげにそう言う中で、俺は咳払いを一つして我が弟子に二人の事を紹介する。

「リリィ、こっちが俺の姉弟子のトトリちゃんで、こっちがこの国のお姫様のメルル姫」
「ひ、姫?」
「うむ、愛称でも何でもなく、正真正銘のお姫様だ」

 そう言うと、リリィの動きはフリーズして、解凍したかと思えば背筋をピンと伸ばして。

「も、申し遅れました。私リリィ……、リリィと申します!」
「あはは、そんな緊張しないでよ。お姫様って言っても名前ばっかりだし」
「そ、そんな事……」
「あります!」

 俺は高らかに宣言した。
 するとリリィが、目を見開いて俺の顔を見てきた。
 しまった、つい勢いでやってしまった。

「マ、マスター!?」
「いや、だ、だってなあメルル姫?」
「そうそう、だからリリィもそんな畏まらないでよ、わたし達同じ錬金術士の卵同士なんだから」
「え、ええっと」

 どうしたらいいですかと僅かに目線を送られたので、頷いていおいた。
 このお姫様にはおおよそ敬うという単語はふさわしくないと思う。
 騎士中毒の人が来たらその例ではないが。

「う、うん。わかったわメルル。私達お友達で、いいのよね?」

 まだ硬いながらも、柔らかな言葉遣いで話すリリィに大してメルル姫は。

「うん! 仲良くしようねリリィ!」
「え……ええ」

 少し逡巡したものの、最後には微笑みながらリリィは頷いた。
 メルル姫には人と仲良くなる才能があると思う。
 て言うか、いいなあ。俺にため口を聞いてもらいたいと願った師匠の気持ちが今になってわかった。

「それじゃあ一緒に採取に行くわたしの幼馴染二人も紹介するよ!」
「え? ちょっとメルル!? あ、マスター行ってきますね」

 メルル姫に手を引かれて、半ば強引に連れて行かれたリリィ。
 片手でも一応カバンを持てていた辺り、力は意外と弱くはないのかもしれない。

「よし、プラン・はじめてのおつかいを決行する。行けスタッフ」
「ぷに」
「え?」

 アトリエから出ていくぷに。それを見て呆けた声を出すトトリちゃん、何を驚く事がある。

「俺が可愛い弟子をただ見送るだけと思うか?」
「た、確かに。でもちょっと過保護じゃないですか?」

 過保護→過剰保護。
 過剰とは、必要な程度や数量を越えて多いこと。

「……俺の弟子愛に対する保護レベルとしてはなんらおかしくないな」
「そうですか」

 諦めたように肩を落とすトトリちゃん。
 いっそメルル姫レベルで活発な感じなら心配いらないのかもしれない。

「ところでトトリちゃん」
「はい?」
「俺のちゃんづけって、今更ながらおかしくないよな?」

 心に残る不安の一つ。

「へ? おかしくないですよ、むしろリリィちゃんの事を呼び捨てにしてた事に少し驚きましたし」
「そ、そうか」

 よかった、マジキモいんですけどなトトリちゃんはいなかった。
 これで心置きなく仕事に取りかかれる。

「…………」
「どうしたんですか?」
「いや、な」

 昨日ぷにとした討伐の仕事の報酬が生活費と花火フラムのためのフロジストンの代金に消える。
 フロジストンが十個で260コール、報酬600コール、差し引き340コール。

 ……弟子がリリィじゃなかったら今頃大暴れだな。

 立派なマスター目指して頑張ろう。


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