街からそう遠くない森を四人で歩く、モンスターが襲ってきたりもしたけれどそのほとんどはライアス君がやっつけてくれるから私は安心して材料を集められる。
 メルルも王女様なのに杖を振るって、ケイナもメイドなのに自分の身を自分で守れている、私も何かしたいけれど戦う方法なんて教えられたことのない私は眺めていることしかできなかった。
 分かっていた事だけど、足手まといなんだ。私。
 うん、分かってた。だからせめて自分がやる事はしっかりとやろう。

「それにしてもリリィ、アカネさんが師匠で不安とかない?」

 メルルと二人でしゃがみ込んで草を摘んでいると、変な事を聞かれた。

「ないわよ、マスターはとても優しい紳士じゃない」
「え? アカネさんが紳士?」

 目を見開いてじっと見つめられる、何か変な事を言ったかしら。そんな考えが頭をよぎるけれど、言う間もなくメルルは顔をほころばせて。

「ないない! だってアカネさん、わたしの名前メリル・シャンプーだー! なんてからかってくる人だよ?」
「…………?」

 思わず小首をかしげてしまう。
 あのマスターが人の、それも王女様の名前をそんなふうに扱うなんて想像がつかない、私達本当に今同じ人の話をしているのよね?
 そう尋ねたくなるけれど、考えてみるとまだ出会って三日と経っていないのだから、まだ私の知らない一面があっても不思議じゃないのかもしれない。
 でも……明るく朗らかな大人の男性、この印象は間違いじゃないですよね、マスター?

「他にも人のケーキ横から盗ろうとしたし――」

 溢れて来る私のマスターとまるでイメージの繋がらない話の数々。
 本当に間違いじゃないんですよ……ね?






 トトリちゃんのアトリエで、俺ことマスターアカネは無心になろうと必死だった。
 必死に無心になろうと頑張っていた。
 釜の中をかき混ぜてフラムを作って、それを繰り返す。
 そうしてないと吐きそう。
 想像してみなさい、リリィのやわ肌が狼の爪で傷つくようなところを!

「う、うわああああ!?」

 あまりの恐ろしさに腰を抜かしてしまった。
 くっそ! あの野郎なんてことを! 絶滅させてやろうか!

「ど、どうしたんですかアカネさん、急に?」

 トトリちゃんが戸惑いの表情を浮かべていた、この恐ろしい未来図を語るなんて惨い事は俺にはできない。
 無言で立ち上がり、再び釜をかき混ぜを始める。

「マスターっていうのは大変だな」
「は、はあ……?」

 いっそのことメルヴィアみたいな弟子だったら…………。

「…………」

 眉間に手を当てる。
 マズイ、本格的に精神が乱れてきているようだ。
 時はもうお昼すぎ、近場でパパッとなんんだからそろそろ戻ってきてほしい。切実に。

「予行演習だ。予行演習をしよう」
「予行演習ですか?」
「ああ」

 釜の中からできあがったフラムを取り上げながら、俺は肯定の言葉を挙げる。
 脳内演習は昨晩やってもやり足りぬほどに繰り返したが、それでも足りぬ。もしもリリィの前で舌を噛むなんてへまをしてみろ。
 ……全てが破滅する。

「ちょうど昼も食べてないし、パイでも作ってみよう」

 材料は小麦粉に水、そして塩のオーソドックスなスタイル。
 サイドテーブルにそれらを置き、釜に向かって左手に仮想リリィを浮かび上がらせる。
 妄想とわかっているが、緊張するぜ。

「よしリリィ、パイを作るには小麦粉と塩、最後に水を入れてかき混ぜて……」

 蓋をして少々待つ。
 終わり。

「…………」

 思わず天を仰ぎ見てしまった。
 こんな時、ぷにのタックルがないのが寂しい。

「トトリちゃん、殴ってくれないか?」
「あ、あはは……でも、最初なんですから、それくらい簡単でもいいんじゃないですか?」

 流石はトトリちゃん、指導に優しさの色がにじみ出ている。
 でも、すまない。俺は……俺は!

「難しい事をわかりやすく説明して……っ! キャーマスター素敵! そうっ、思われたいんだ!」

 膝をつき、理解を求める視線を向けるが。

「で、でも、高望みは良くないですよ!」
「ぐうっ!?」

 無自覚の刃が突き刺さった。
 久々に食らうとダメージも大きい……。

「……トトリちゃんだって、メルル姫に『さっすがトトリ先生! カッコイイです!』とか言われたら、嬉しいだろ?」
「え、い、いや、それは……その」

 想像してしまったのか、僅かに赤らめた頬に手を当てて、抑えきれてない笑みを抑えようとしていた。
 そうら見た事か。

「クックック、恥ずべきことではないよトトリ君。尊敬されて喜ばぬ師匠などどこにもいないのだから」
「な、何ですかその顔」

 傍から見たら、おそらく少女を悪の道に引きずり込もうとするような悪い笑みを浮かべていたことだろう。

「俺たちの師匠だってそうだっただろう?」
「た、確かにそうですけど」

 あの人の場合喜ぶという次元ではなく、嬉しすぎて訳分からないくらいまで吹っ飛んでしまう。そして相当に調子に乗りだし、尊敬の目は瞬時に別の視線にチェンジするのだった。

「あれ? そういえば師匠今どこに?」
「あ、そう言えば言ってませんでしたね。先生は……」

 肝心な本題に入ろうとしたところで、トトリちゃんは急に口をつぐんでしまった。
 言いづらそうに俺の目と天井や壁やと視線をうろちょろさせているかと思えば、意を決したように真っすぐ俺の事を見て言う事には。

「じ、実験のためにアストリッドさんと一緒に――」
「ア゙!?」

 反射的に声が出てトトリちゃんの言葉を遮ってしまった。
 なんとも忌々しいというか、畏怖すべきというか、できれば二度とは聞きたくない名前が……。

「それは、あのアストリッドさんで?」
「はい、あのアストリッドさんです」

 諸悪の根源。俺がアーランドに来る事になった全ての原因。
 今となっては全部良い思い出というか、来なかった自分を想像できないくらいに俺の人生にとって素晴らしい経験だった。
 そうだな、嫌悪感とまでは言わずとも苦手意識を持っていたが、むしろ礼を言うべきなのかもしれない。きっと素晴らしい人なんだろうなあ。


 んな訳ねえよ。


「あんな人と一緒……大丈夫なのか?」

 手紙の文面からでさえ唯我独尊っぷりが漂うような人と一緒で。
 師匠の師匠だから、そんな酷い事はしないだろうけど……。

「大丈夫ですよ。実際に会いましたけど本当にスゴイ人でしたから。きっと今頃先生と一緒に世界を変えちゃうくらいスゴイ実験をしてますよ」
「世界を変えちゃうくらい……ねえ」

 確かに次元の壁を軽くぶち抜いてしまったくらいだし、あり得ない話ではない。
 というか現実の話として、俺は既に世界を抽象的ではなく物理的に変えられている。

「そ、そう思うとワクワクしてくるな」
「ですよねですよね!」

 天才二人が力を合わせているとなると、錬金術界に何か革命的な事が起きるかもしれない……。時間旅行? はたまた宇宙進出とか?

「うむ、次に師匠に会うのが楽しみだな」
「そうですね、きっと今までにないくらいに驚く事になるんだろうなあ」
「ついでに噂のアストリッドさんに当てられて、少しは大人っぽくなってれば弟子として安心なんだけどな」
「あはは」

 朗らかに笑い合っていると、突然アトリエの扉が開いた。

「たっだいまー!」
「あ、おかえりメルルちゃん」

 元気良く入ってくるメルル姫、その後ろにケイナちゃんと我が弟子リリィ。
 ……数時間見ないうちにまた可愛くなったかもしれない。ヤバいぜ俺の弟子。

 しかっし、そんな素振りは見せない!
 スイッチをいつものアカネさんから、イケイケマスターへと入れ替える!
 振り返り、クールに頬笑み、口を開いて言う事には。

「おかえリリィ!」
「へ? た、ただいマスター?」

 面を喰らった顔をしつつも、小首を傾げてそう言ってくれるリリィ、意外にノリはいいらしい。
 これ以上触れずにちょっとお茶目なマスタージョークで済ませよう。でないとどんどん火傷していく未来しか見えない。

「ね、言ったとおりでしょ?」
「え、ええ……でも…………」

 手で壁を作ってこそこそ喋るリリィとメルル姫、俺は耳が良いのです。聞こえているのです。
 どうせ姫が俺の本性というか、おおよそ紳士的ではない部分を語ったりでもしていたのだろう。
 数時間とはいえ築き上げた師弟の信頼、そう易々と打ち砕けるものではない。
 リリィの俺を見る不安げな顔つきは気のせいだい、そうなんだい!

「よし! 早速帰って錬金術の実習をしようか!」
「は、はい!」

 手をパンパンと打ち鳴らしながら内緒話をする二人の横を通り抜けて扉の方へ。
 多少強引かもしれないが、そんなことは言ってられん。
 これ以上事実を吹き込まれては敵わない。


 トトリちゃんのアトリエからアカネのアトリエへと向かう道中、二歩後ろをついて来るリリィが終始無言だったのがとても胸に痛い。
 かと言って、実は俺はあまり頭がよろしくないんだと暴露したとしよう。
 それでリリィが『なんだマスターはバカだったんですか、不安解消! これで安心して錬金術を教えてもらえます!』なんてなるとは思えない。
 安心と信頼のトトリちゃんに走るのが目に見えている。
 こんな可愛い子が俺の弟子になるという奇跡、それを守るためには威厳を見せるしかないのだ。他でもない、このアトリエで!

「よし、それでは早速実践に入ります」
「は、はい!」

 並んだ二つの釜の右側に立ち、背筋をピンと伸ばしたリリィに向かい合って話を進める。

「まずは採取してきた材料で錬金術を行おう」
「……あの、マスター? 最初は座学とかじゃないんですか?」
「…………」

 座学? 知らない言葉だ。
 俺の師匠ことロロナ師匠も実践から入っていた。あの時は師匠マジパねえとバカにしていたが、今になって思えば、アレは錬金術で何かを作るという喜びを与えるための粋な計らい……だったらいいなあ。
 最初に実技も良いけど、師匠は絶対に細かいこと考えずフィーリングでそれを選んでた。間違いなく。

「俺もトトリちゃんも、最初は師匠監修の下で錬金術をやったんだ」
「そ、そうなんですか」

 頑張りますとばかりに手をグッと握るリリィ。
 本当に『最初は』だったという事は、俺の胸の内にしまっておこう。

「それじゃあ何を採取してきたかは……まあ大体わかるけど、見せてくれ」
「えっと……これで良いんでしょうか?」

 床に置かれて開かれたトランクケースの中には、お馴染みのマジックグラスや木片、以前大繁殖していたプレイン草が合わせてカバンの容量の三分の一程度入っていた。
 これなら予定通りにプランを進められそうだ。

「グッドグッド、それじゃあマジックグラスとプレイン草を使って初心者向けかつ絶対に覚えておくべき物を作るとしよう」
「よ、よろしくお願いします」

 ペコリと頭を下げるリリィに指示を出す。
 マジックグラスを煎じたりと下ごしらえをさせて、試験管数本とプレイン草の粉を横のテーブルに置いて、さあ本番だ。

「…………」
「マスター? 次はどうすれば?」

 俺の顔を見上げるリリィを見て思う、トトリちゃんとの出会いは爆発、俺のファースト錬金術も爆発、師匠に至っては爆発より酷い出会いだった。
 爆発せずに一人前になった人はいないとは言え、そろそろ初心者=爆発という通例を吹き飛ばしてもらいたい。

「まずは杖を持つ」
「は、はい!」

 飾り気のない質素な木の杖を両の手に持って身構えるリリィに、次なる指示を飛ばす。

「そしてこの試験管の中身を最初に入れます」
「わ、わかりました」

 三本立てられた試験管、赤、緑、黄色の中の赤い奴を手渡す。

「入れたらぐるぐる……時計回りに撹拌します」

 俺の言葉に従おうと必死なのか、前半をもう忘れたかのように頬を赤くして一生懸命かき混ぜるリリィ。
 師匠の教えの呪縛はいつまで俺の体を蝕むのだろうか……。
 今では若干ながら師匠の本能が俺の体にインプットされている、恐ろしい。

「そしたら次は二本一緒に入れながら同じように混ぜて、混ぜながら粉をぱらぱらーと入れる」
「二本入れて……」

 小声で復唱しながら、袖のフリルをはためかせつつつ忙しなく手を動かす。
 試験管の中の液体を入れ終わり、粉を摘んだリリィは釜の上にそのまま左手を動かすと。

「えっと、マスター? ぱらぱらーってこんな感じですか?」
「いや、それだとパラパラパラー…………」


 デジャヴ。
 昔、立場は違えど同じような事があった気がするぜ……。


「悪かった、正しく言おう、指の第一関節まで挟み込むんだ」

 俺は極めて冷静にそう言いながらリリィの脇を持って抱え、そのまま百八十度反転した。

「きゃ!? ま、マスター!?」
「覚えておくんだリリィ! 錬金術士っていうのは……爆発から始まるんだ!」

 後ろに目線をやると、釜の中が七色に輝いていた。
 どんどん輝き増していき、真っ白な光に変わった、爆発までもう一瞬。

 はっきり言おう。
 こうなるんじゃないかと思っていた。

 弟子を育てるって難しいな! 師匠!
 
 虚空に向かって微笑むと、背中に懐かしい衝撃が――。



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