これは彼の夢。
 過去を振り返る彼の夢。

 とある山村、村人は皆、仕事に勤しみ穏やかに暮らしていた。
 昔の記憶ゆえか、一面の木々の色は褪せ、空は灰色で時が止まっているかのような錯覚をさせる風景であった。
 それでも再生され映像は、いつものように変わらない日々を流す……ことはなかった。

 空が白み始めるよりも早い時間、森の入り口の前に小さな影がいくつか揺らめいていた。
 村の周り全てが森の入り口のようなものではあるが、そこは在中の魔術師が村人の仕事のために魔物を駆除しているのとは反対の方角、つまるところ危険地帯であった。
 分別のある者なら普通は近づかないが、彼らは年が二桁になるかならないかくらいである。
 不思議とその五人、輪になって集まった少年四人と少女が一人、彼らは夢の中でも褪せることなく、くっきりと灰色の世界に色を持って浮かび上がっていた。 

「よーし、全員集まったな」

 その中で一番背の高い黒髪の少年が幼いながらも芯の通った声を上げると、四人が思い思いに返事をあげる。
 彼らは一様に何かを隠すように手を後ろに持っていた。

「俺たちの目的は、凶悪な魔物を倒していって、俺ら五人でこの山全部を平和にすることだ。お前ら、ユーリ先生にもガディ兄にも、誰にも言ってないよな」

 四人は神妙な顔をして頷くと、それに満足するように黒髪の少年は頷いて後ろ手に持ったものを皆に見せるように掲げた。

「俺の役目はお前らを守る剣だ!」

 子供にはとても振り回せないようにも見える鋼の直剣に、昇り始めた日差しを反射させながら決意を表明するように大きく声を上げた。

「ならば俺は敵を逃さぬ鎖だ」

 年に似合わぬ口調で、白髪の少年が足元から全身を覆うコートを広げて見せるのは無数に縫い付けられた鎖であった。
 そして、それに続くように勇ましい声が響くと思われたが。

「それじゃあ僕は料理係〜」

 目の細い青髪で小柄な少年は包丁を掲げ、男子勢三人から奇異な目を向けられる。
 誰かが発言するよりも早く、狼のような耳を生やした亜麻色の髪の少女が、次に取り出して胸の前あたりに見せつけたのは。

「…………食」

 ナイフとフォーク。
 キラリと輝くシルバー製品、同時に目を光らせ、待ちきれぬように尖った耳と楕円形の尻尾を動かしていた。

「…………」

 リーダーらしき黒髪の少年は真面目な顔で固まっていた。
 そしてじっと目を閉じると。

「はあ。まあ知ってたよ、でも合わせろよお前ら」
「まったくだ」

 力の抜けたように方を落とす黒髪の子と腕を組んで苛立つような声を出す白い少年。
 それに反論するように、後の二人は口を尖らせた。

「なんだいなんだい、僕いないと探索もまともにできないくせに〜」
「…………メア、回復」

 向かい合う二人と二人、そしてどちらにも入れずにいる最後の一人。
 二人と二人、真面目な討伐と娯楽な狩り、どちらの意見が正しいのか民主的にはその子が決めることになる。
 そしてついに、四人が彼に声をかけた。
 名前を呼んで。


 ――――ジン。






「…………」

 ジンが目を開くと、焦げ茶色をした板張りの天井が目に飛び込んだ。
 彼が体を起こすと、正面の窓の向こうの太陽が朝なのだと告げていた。

「……ラムダ、ロイ、トト、メア。なんでもいいから、早く魔物を断ちに行こう」

 未だ夢から帰らぬように、そう口ずさむと、懐かしむように口角を上げた。
 そして大きく息を吸い込むと、体を投げ出すようにばたりとベッドに倒れこむ。
 彼の格好はいつの間に着替えさせられていたのか、髪は解けているが、シャツ一枚にズボンとパーティー以前の格好に近かった。

「あの後は、そう……帰ったら騒ぎになっててユーリ先生に叱られたんだっけか」

 腕を目の上に置いて、暗闇の中で夢の続きを想い起こしている。
 前日に学園長の前で回想されたものとは違う、まだ彼が楽しかった日々の思い出。

「でも結局続けたんだよなあ、楽しかったよなあ、本当に……本当に」
「ふーん、そんなに楽しかったのか?」
「ああ、五人ならなんでもできるって……信……じ………………て?」

 突然の声。
 それはジンのすぐ耳元、寝転がっているジンのすぐ耳元から発せられていた。
 腕から顔をずらし、ゆっくりと顔を左に向けると。

「おはー」

 体を横にしてジンを見ている少女、艶のあるワインレッドの長髪は布団の上に血のように広がっており、その間を縫うように、背中から生えたコウモリのような薄い羽が姿を見せていた。
 が、ジンが認識できたのは、少女の整った顔立ちと力なく開かれた目。
 しかしそれもあくまで視覚情報に過ぎず、ジンが瞬時にはっきりと理解できたのは、見知らぬ少女が布団で同衾しているという事実だけであった。

「…………」

 甘い夢に浸っていた砂糖漬けの脳みそは一瞬にして覚醒し、弾むように体を起こすと、ここ五年で一番に回転を始めていた。ジンは無意識に昨日の出来事を回想していた。
 それでも思い出せるのは酒を大量にあおる以前の学園長との会話まで、酔った先という一番に思い出さなくてはいけない部分が吹っ飛んでいることに、ジンは息を呑む。
 何を言うべきか分からないままに口を開きかけるも、先に目の前の少女が言葉を紡いだ。

「……昨日は、優しくしてくれたね」

 ジンは全身の水分が乾いていくのを感じた。
 言葉尻にハートマークがつきそうなほどに甘ったるい口調、紅潮して赤くなった頬、照れたように目をそらしてはにかむその笑顔。
 何より、はだけて晒されている肌。
 ブラウスはボタンが外され、真紅のネクタイは結ばれずに首にかかっているだけ、背後には投げだされたブラックのベストが転がっていた。
 何事かがあったのだと、想像が無限大に広がる光景である。

「ねえ、約束……覚えてるよね?」
「や、やくそ――!?」

 裏返った声がジンの口から飛び出た。もちろん、覚えがない。

「忘れちゃったの? ずっと大事にしてくれるって……もしかして、嘘だったの?」
「……え、いや、その」

 不安に揺れる瞳に、ジンの思考回路はショート寸前になっていた。
 だからと言って、まさかここでバカ正直に、昨日のことを覚えていないと言って逃げられるほどジンは女性経験豊富ではなかった。

「……ねえ」

 涙が浮かんでいた。
 ジンは叫びたかった。恥も外聞も捨て去って逃げ出したかった。捨て去るほどあるかどうかは疑問というのは置いておいて。

「…………お、覚えてるよ」

 ジンは嘘をついた。
 酔った男、いつのまにか寮の部屋にいて着替えている、起きたら隣には見知らぬ女性、服は崩れている、優しくしたらしい。
 総合的情報判断から導き出された嘘であった。
 真実を受け入れる覚悟で発した嘘であった。
 彼の目には涙が浮かんでいた。

「……それじゃあ、愛してるって、ね?」
「――あっ!?」

 鶏を絞め殺したような悲鳴が出た。
 見知らぬ彼女は体を少しだけ起こすと、ジンの嫌な意味で高鳴り続ける胸元にそっと手を置いて、肩に頭をあてると、とろけそうなほどに甘い口調で囁いた。

「ねぇ」
「…………あ」
 
 ジンは微笑んだ。それは、もうどうにでもなれと、全てを捨てた笑みであった。
 
「愛してるよ」
「…………」

 まっすぐと目と目を交し合い、ジンは彼女のアクションを待った。

 待って、待って、待って、待ち続ける。

 すると、彼女は何かに堪えるように下唇を噛んだ。
 頬がひくひくと痙攣し、目元は持ち上がり三日月のような形に。
 そして――。

「ぶふぅ!」
「――!?」

 彼女の笑いのダムが決壊した。
 一転してバンバンとジンの胸板を壊すような勢いで叩き始める。

「アホだ! アホがいるわ! 愛してるって! …………愛してるよ――ぶふぁ!」

 キリッとした表情でジンの痴態を演じると、また吹き出して延々と笑い続けた。
 ジンは展開に脳が追いつかず、疑問符を浮かばせ続けている。

「あー、やばいやばい。今の時代こんなのに騙されるアホがまだいるなんて、長生きはしてみるもんね。まあ死んでるんですけど? はっはっは!」

 ケラケラと笑い続けたまま、彼女はベッドから飛び上がった。そして浮かび上がった。
 足先まである漆黒のスカートを揺らしながらふわふわと浮遊して、ジンをバカにしたように見下ろしている。
 一方のジンはというと、騙されるという一言をオーバーヒートぎみな脳でなんとか処理しようと頑張っていた。

「もしもーし? 起きてるー?」

 浮いたまま前のめりになり、ジンの頬を二、三度叩くとようやく彼の口が開かれた。

「…………嘘?」
「何? まだ分かってなかったの? 全部嘘も嘘、思春期ボーイをからかっただけよ」
「…………幽霊?」
「はい正解! 景品はなし! 生物学的には魔族科幽霊族みたいなかんじかしら? 気軽にハナちゃんって呼ぶと怒るわよ」
「…………泣きそう」
「ちょ、ちょっと泣かないでよ! 私が悪いことしてるみたいじゃないの!」

 ジンは泣いていた。苦悩を涙という形にして、己の内から。

「なんで、なんで……なんでこんないたずらを」

 いたずら、言葉としては可愛いが、ジンの先ほどまでの気分は断頭台に送られる罪人のようであった。

「そうねえ、まずは赤髪の奴があなたを連れてきて、おもむろに私の横に寝かせて」
「ま、待った!」

 昨晩のことは憶えていないものの、流石に女性のいる横に寝かせられるなどありえないとジンは咄嗟に声出した。

「ああ、普通の子には見えないのよ私。ここうん百年ではミスティくらいだったかしらねえ、と言うよりも私の記憶にあるのだとあなたで二人目よ。レアケースね」
「そ、それはなんとも……」

 悲しいことだと思うと同時に、こんないたずらをされるくらいなら見たくはなかったと、複雑な感情を声に出し切れないでいると、手早く彼女は話を進めた。

「それで起きたらぶつくさとニヤニヤしながら独り言言い始めるから、あんまりにも! 不憫で、不憫で仕方がないから、天使のように優しい私が聞こえないと分かりつつも相槌を打ってあげるじゃない。そしたら私のことが見えてるみたいだったから、驚きと一緒に好奇心が沸いちゃった、みたいな?」
「好奇心?」
「ええ、隣に見知らぬ女がいた場合の十六歳男子の反応を観察してみたかったと言う知的欲求よ。これが理由ね」

 怪しく目を輝かせつつも、はっきりと言い切ったその様子と言葉から、ジンは思った。
 絶対に嘘だと。
 天使のように優しい人はそんなことをしない、そもそも羽の形が禍々しいと。

「でも、まあ……いいです。いいですよ、うん」

 潔白な身であることに安堵したジンはそれ以上追及する気も元気もない様子で、起き上がり部屋を見渡す。
 ベッドに学習机、そして積み重なった大量のダンボール。その向こう側には二つ目の窓があるようだが、完全に荷物で光はシャットアウトされていた。
 ジンは服の皺を伸ばして、積み重なったダンボールの上に乗っていたベストとコートを着用し、その上からベルトを締めて締めて、締めた。

「…………ベルトの多い人は潜在的にマゾ」
「やめてください。真偽はともかく、本当にやめてください」

 ベルトのせいで結構冷たい目を向けられがちなのに、そんな噂が立ってしまったら今後彼の弱い心はきっと脆くも崩れ去ってしまうだろう。

「ぶー、だって私のこと無視して着替え出すんだもの。お姉さん、拗ねちゃうぞ?」

 ウィンクで星を散らす彼女の表情は言葉とは裏腹に非常に楽しげであった。

「いやーねえ、さすがに隠し切れないから言っちゃうんだけど、たぶん千年近く生きてきてミスティ以外の子と話すの久々どころか初めてだから、テンション爆上がりなのよ」
「はあ」

 顔を興奮から赤くして体を揺らしているその様子は、自由奔放に騒いでいた先程までの彼女とまるで違い、千年という桁違いの単位も相まってジンは戸惑ったように返事を上げる。
 そして次の彼女の言葉にまた戸惑うことになった。

「そうだ! 名前、名前を教えて頂戴! 私はアリノルンティリアストルクレイメントフォルツメリアステリカよ!」
「……はい?」
「アリノルンティリアストルクレイメントフォルツメリアステリカ!」

 流れるように一声で言い切る彼女、アリノルン以下略はジンと目線が合う位置まで降りると
何かを期待するように、ん、ん、と促す声をあげた。
 ジンの心の秤は、行われた悪事と不憫な境遇で揺れていた。
 こうも純粋さを見せられると、寝起きのいたずらも、彼女なりの喜び方であったのではと考えさせられ、結局秤は片方に大きく傾いた。

「……アリノルンティ・リアストルクレイメント・フォルツメリアステリカさん?」
「違う違う、これだけで名前なの。ファミリーネームは死んだときに忘れちゃったのよね」

 髪先をいじりながら、なんでもない風に言い切る。
 彼女は事実をポンと言っただけだが、ジンには今の彼女が寂しげに髪をいじっているようにしか見えなかった。

「ア……アリノルンティリアストルクレイメントフォルツメリアステリカ! ですね」

 早口言葉のごとく所々噛みながらもなんとか一息でジンは言い切ることができた。

「そうそう、それと敬語は使わないで頂戴、友達になれる人は貴重なの」
「ああ、わかったよ」

 元々あまり敬う気もなかったのか、ジンは自然に口調をラフに戻すと、一つ提案をした。

「名前をどうにかしよう」
「名前? ハナちゃんでも良いわよ?」
「ハナちゃん?」
「ええ、私の名前は昔々の言葉なの。ミスティ曰く、今の意味に直すと永遠に枯れない優美な紅き花って意味らしいわ」
「それでハナちゃん?」

 ジンの脳裏には胡散臭く微笑む学園長の姿が浮かび、意外と安直なんだなと思った。
 同時にその名の意味を聞いて、その容姿にピッタリだとも思った。皮肉にも容姿以外の部分も。

「折角だから、もっと一部抜粋で……ノルンとか」
「採用!」
「速っ!?」
「ハナちゃんなんてクソみたいなあだ名の万倍いいわね!」

 彼女はとても変わり身が早かった。

「これで年一のあだ名喧嘩もなくなるわね……そうそう、あなたの名前はなんて言うのかしら?」
「ジン、ジン・リュールトンでございます」

 この日初めての名乗り、ジンは初日に出会った二人にしたのと同じように胸に手を当て小さく頭を下げた。

「ジン……かあ、あだ名の付け甲斐がないわねえ」

 ノルンは指を口元に当て、つまらなそうに瞼を半分閉じてジンを見つめた。

「シンプルなのはいいことだよ」
「それもそうね、他に聞きたいことは……そうねえ、ジンの将来の夢って何かしら?」
「夢?」

 もちろんジンは即答することはできなかった。
 彼はこれで二日ほど前までは引き篭もり生活で、一日前まではずっとそうしていると思っていたため将来の展望など何一つ持っていないのだ。

「……ない、かな」
「あら、それじゃあなんでここに来たのかしら?」
「…………不本意ながら、だな」

 同い年の学友であり二人の友人には聞かせるつもりはない不誠実な言葉であったが、ジンはノルンという不思議な少女には誰かに告げられる心配はないと言う安心感からか、驚くほどに素直な言葉を口にしていた。

「ふーん、それなら学園なんてわざわざ行く必要ないんじゃないかしら? 聞きたくない授業を聞いて、したくもないことをして、ならここでだらだらしてればいいじゃない」
「……確かに」

 結局、ジンは今現在何一つ学園に通う理由がないのだ。
 理由がなくても、入学した以上通わなくてはならない……なんて精神の持ち主であれば、そもそも引き篭もってなんかいないだろう。

「私の友人ならミスティも悪いようにしないでしょうし……行く必要なんてないわよ」

 浮かび上がり、ジンの背後から耳元へ悪魔のような堕落への誘いをかけるノルン。
 ジンは当然、怠惰な人間であるからにはその誘いを断る術を持たない。

「いや、やっぱり行くよ」

 はずだった。
 ジンは目を瞑り、何かを思い出すように頷いて、振り返った。

「今日は夢見が良かったんだ」
「あら、それなら仕方ないわね」

 クスクスと笑い、あっさりと諦めてノルンは布団へと滑り込んだ。
 そして顔だけを出して頬を膨らませると。

「まったく、折角怠け者同盟を組めると思ったのに、残念で仕方がないわ」

 そうまったく諦めていない様子で、形だけの残念を口にしていた。
 ジンは苦笑いでそれを見送り、机から紐を取って髪を括ると、ゆっくりと扉を開いた。

「いってらっしゃーい」
「はーい」

 一人部屋からの声に見送られ、ジンは気まぐれの一歩を踏み出した。
 


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