この学校には恋愛の師匠がいる。
 そんな噂が一年から三年まで、全校生徒の間に出回っていた。

 俺はその噂を少しずつ手繰っていき、今日この場に来ていた。
 木造旧校舎の三階、旧生徒会室前。
 高校に入って数ヶ月、夏を越して季節は秋も終わり、もうすぐ冬休みがやってくる。
 
「……なのに俺ときたら好きな子に声すら掛けられない」

 藁をも掴む想いでここまでやってきた。
 意を決して、ささくれだった木の扉を二回叩いた。

「入れ」

 男の声と思われる反応が返ってくる。
 取っ手を持って扉をスライドさせると。

「よく来たな、まずは名乗ろうか」

 パイプ足の長い机、その中央に肘をついているのは――。

「生徒会長?」
「その通り、鹿ケ谷学園三年、桐谷孝太郎だ」

 そう言って会長はメガネを中指で上にずらした。
 窓から差し込んだ朝日が、まるで後光のように輝く。
 思わず喉を鳴らしてしまった。この人の、あの話は誰もが知っている!
 会長が恋愛の師匠なんだ!

「あ、お、俺! 俺、一年の溝内健っていいます!」
「ふむ、では溝内君。まずはかけたまえ」

 会長の差し出した手の先にはパイプ椅子が、俺は促されるままにそこに座り、会長に向き合った。

「では聞こう」
「は、はい!」

 そして俺は自分の身の上を語り始めた。
 入学当時から気になっている子がいる事、でも話しかける事が出来ないでいる事。
 そして俺は尋ねた、どうすればいいのですか? と。

「なるほど……」

 会長は深く頷いたと思えば、立ちあがって窓の外の方を向いた。
 その華奢に見えるが、どこか大きくも見える背中に思わず頼もしさを感じてしまう。

「君も、私の話は知っているだろう?」
「あ、はい。あの会長と会長の彼女さんとの出会いの話ですよね?」
「そうだ」

 全校生徒、皆が知っている会長の話。
 会長は一年の頃、好きな女子に話しかけられないでいた。
 
 だから一度転校した。
 
 そしてもう一度彼女のいる学校に転校した。
 朝に食パンをくわえてぶつかり、『あー、お前はあの朝の!』というのをリアルでやったとか。
 バカである。
 しかし、結果的にそれで二人は仲良くなったとか。

「あの作戦には穴がいくつもあった。朝にぶつかれるか、同じクラスになれるのか、ネタをネタと理解してくれるか」

 しかし、と会長は言葉をつづけた。

「私はそれを乗り越え、愛を手に入れた!」
「は、はい」

 それで、どういうことでしょうか。

「運命的な、衝撃的な出会いには確実に意味がある。それを忘れるな」
「で、でも俺にはそんなこと……」

 そんな会長みたいな真似ができるくらいなら、俺だって今頃彼女の声をかけられ――。

「できる!」

 会長は俺に歩み寄り、肩に手を置き真っすぐと俺の目を見てそう言ってくれた。

「お前にもあるはずだ。バカな男の賭けって奴がな」
「そ、それは……」

 ある、常に懐に忍ばせた俺の恋文。
 これを渡す勇気が、その勇気さえあれば……。

「あるさ」
「へ?」

 そんな俺の心を見抜いたかのように、会長は口を開いた。

「お前にも、勇気はある」
「かいち……師匠」
「もしもその勇気が出せないのなら、勢いだ。勢いで押せ。何も考えるな!!」
「は、はい!」

 渇を入れるかのように大きく叩かれた両肩、俺はその思いを受け止め。
 両の足で立ち上がり、外へと向かった!

「もっとだ! もっと走れえーー!」
「はい!」

 全力疾走で現校舎に戻り、階段を数段飛ばしで上っていき、一年の教室がある四階へ。
 HRの始まる前の朝の教室、クラスメイトが賑わうその中へ、俺は勢いよく飛び込んだ。
 遅刻ギリギリで急いでいると思われたのか、皆の賑わいは特に収まる事はなかった。

 沢渡さんは……。

 いた。沢渡美鈴さん。
 俺の席の隣、窓の横の席でいつものように外を見て黄昏ていた。
 長く伸ばした髪二つに分けて、肩の前で結んだどこかクールな印象を与える髪型。
 いや、実際に彼女の周りからの評価はクールというべきだろう、口数の少ない沢渡さんというのが皆の沢渡さんだ。

 しかし俺は見てしまった。
 校舎裏でネコと戯れている笑顔の沢渡さんを。

 ハートを打ち抜かれた。
 それから彼女から目が離せなくなってしまった。

 一学期からのこの想いを綴ったラブレターを――!

「さ、沢渡さん」
「…………?」

 首を軽くこちらに曲げて、俺のことを見上げる沢渡さん。
 俺は懐に手を入れ、そして……。

 ど、どうすれば!?

 何といって渡せばいい?
 まずい、時間をかけたら変に思われる…………師匠! 助けてください。

『勢いで突っ込め!』

 瞬間、師匠の熱い想いが俺の中に蘇った。
 そうだ、勢いだ!

 俺は勢いで手紙を差し出し、声を張り上げた!

「好きです!」
「…………」

 目をまたたかせる沢渡さん。
 静まり返るクラスメイトの喧騒。
 脂汗が頬を伝う俺。

 手紙の意味がなくなってしまった。

 いち早く現状を理解した沢渡さんは、口を開いた。

「……ごめんなさい」

 軽く頭を下げて、突き放す一言が。

「…………っ」


 目の前が真っ白になった。


 倒れそうな感覚を覚えたその瞬間、師匠の言葉が再び蘇った。

『お前にも、勇気はある』


 俺は何も考えず言葉をただ、ただ必死の思いで発した。


「嫌です!」

 俺のその言葉で、クラスメイトの間に再びどよめきが起こった。
 概ね俺に対する否定的な言葉だが……お前ら関係ないから!

「……でも、私好きとかそういうの……よく分からないから」
「それなら!」

 俺はおもむろに彼女の手を両手で握り込み、姫にかしづく王子の様に膝をついた。
 そして彼女の目だけを見て、吠えた。

「それなら、俺が教えます!」
「……いいの?」
「もちろん! 今日の放課後にでも教えますよ! だから俺と付き合って下さい!」
「…………」

 こくりと、さっきの謝罪とは別の意味で、前に頷く沢渡さん。
 気分はブザーと共にゴールを決めるバスケの選手だった。

「そ、それじゃあ放課後に!」
「……うん」

 手を放し、俺は小躍りしたくなるのを我慢して、廊下へと出て行った。
 そして躍った。
 声にならない歓喜の声を上げた。

「師匠――ありがとうございます……師匠!」

 師匠のおかげで、告白できた。受け入れてもらえた!
 それはおろか放課後デートまで!
 デートまで!
 ……デート?

 ――――デート!?

「し、師匠ー!!」

 俺は旧校舎へ走った。
 師匠にデートの教えをこわなければ!


 桐谷生徒会長、彼がこの学園の恋愛の師匠だ。




TOP